静岡県での茶栽培の歴史をご紹介します。
中世
静岡県の茶の栽培は13世紀、静岡市出身の僧、聖一国師(しょういちこくし)が宋からお茶の種を持ち帰り、故郷の静岡市足久保にまいたのが始まりといわれています。
南北朝時代に書かれた「異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)」という書物に旧清水市のお茶についての記述があり、当時から静岡のお茶が優れたお茶であったことが伺い知れます。戦国時代、駿河の国(静岡)を支配していた今川氏の下、静岡で本格的にお茶が栽培されるようになりました。
江戸時代
徳川家康は、当時、静岡市井川地域を支配していた海野氏にてん茶(抹茶の元になるお茶)の栽培を命じました。このお茶は高価な茶壺につめられた後、駿府城下に運ばれ、お茶会で供されていました。
記録では1681年から静岡市足久保のお茶が江戸の将軍家へ上納されています。高級茶であったこのお茶は、八代将軍吉宗の時にその役割を終え、生産技術も途絶えてしまいました。
幕末・明治以降
幕末、駿府に移住した徳川家の旧家臣たちにより牧之原の開拓が始まります。当時、輸出品としてのお茶に注目が集まっており、牧之原後に大規模な茶園を造成する計画が持ち上がったのです。大井川の豊かな水と温暖な気候が良質なお茶を育み、現在のような茶の一大生産地へと発展していきました。
1858年、日米友好通商条約が結ばれ各地との貿易が始まると、静岡や宇治の高級煎茶が輸出されるようになりました。さらに1899年には清水港が開港し、静岡のお茶が直接外国に輸出されるようになったのです。
明治末期には静岡で「やぶきた」という新種のお茶が発見されました。優れた特長を持ったやぶきた茶は1953年に農林水産省の奨励品種に指定され全国に急速に普及し、今では煎茶の代表的ブランドとなっています。






